渡邊拓也は、 主に映像インスタレーションを手がける
ヴィジュアル・アーティストである。移動や労働、人と環境のあいだにある複雑な関係性を主題とし、コミュニティとの関わりや社会状況に対する綿密なリサーチを行う。個人の境遇や身体性、またはそれらを含む風景に埋め込まれた不可視の構造をひもときながら、権力と脆弱性の相互作用を描き出している。リサーチに基づく実践の中核として、これまで複数の国際的なアーティスト・イン・レジデンスに参加。主な滞在歴に、Delfina Foundation(ロンドン、2024年)、SAM Residencies(シンガポール、2023年)、 WIELS Residency Programme(ブリュッセル、2022年)、ARCUS Project 2019 IBARAKI(茨城)などがある。近年の主な展覧会に、《クリテリオム101 渡邊拓也》(水戸芸術館現代美術センター、茨城、2024年)、および《As Above, So Below》TOKAS Creator-in-Residence成果発表(TOKAS本郷、東京、2023年)などがある。
令和7年度文化庁新進芸術家海外研修制度に採択され、2025年から二年間、ロンドンを拠点に活動予定。
本プロジェクトは、「自然」という概念が持つ政治性を明らかにすることを目的とする。自然は中立的で普遍的な存在として語られがちだが、その意味や価値は歴史的・文化的背景の中で形成され、しばしば政治的意図を帯びて利用されてきた。 国内でも、オーガニックや環境保全といった開放的でエコロジー指向の言葉が、国粋主義的な言説と結びつく状況が記憶に新しい。「自然を守る」という提言は、何を守り、何を排除するのかを曖昧にしたまま、特定の価値体系を正当化する力を併せ持つ。その典型例が、ナチス政権下の自然保護政策である。1930年代のドイツでは「血と土(Blut und Boden)」思想のもと、景観保護や有機農業が推進されたが、その内実は民族的純化と国土防衛のイデオロギーと結びついていた。これは「自然」という概念が“善意”や“普遍性”を装いながら排除の論理に転化し得ることを示す事例であり、環境やエコロジーの言説が排外的秩序の装置となる危うさを物語っている。
こうした概念的な枠組みをより現実的な水準で捉えるために、本プロジェクトでは藤野の里山環境の取り組みと
パーマカルチャーの実践の場をフィールドとする。藤野は、都市近郊でありながら多様な生態系と自給的コミュニティが共存する地域であり、同時に人の手による管理や選択が日常的に行われる場であるとされる。そして、パーマカルチャーセンタージャパンの拠点であり、日本国内のパーマカルチャー運動の中心地である。
そこで行われる実践者の判断や経験は、どのような法制度・経済的要請・共同体的規範・個人的信条と関係し合いながらなされるのか。言い換えるなら、身体的なものが不可視の概念的な諸条件と分かちがたく存在するのか。そして、人間の行動のみならず「景観」という水準化から見つめた際に、どのような人間ならなざるものとの関係からその諸条件が決定されるのかというより複雑なものも視野に入れたい。
主に実践者へのインタビューや見学、また可能であれば撮影や共同の可能性を模索したい。
こうした実践の場に身を置きながら、自然と人間が出会う場における多層的な「自然」像を可視化することを試みる。
関連イベント:
・9月20日(土)・21日(日) オープンスタジオ
関連作品のスクリーニング、アーティストトーク(両日15時〜)